ベトナムとともに、30年 ― 陸と空で、コールドチェーンを全土へ
プロジェクトストーリー
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日系フォワーダー企業として初めてベトナムに進出して、30年あまり。鴻池運輸は、この国とともに事業の形を変えてきた。今、挑むのは、南北2,000キロを陸と空で結び、コールドチェーン(定温物流)を全土に広げる構想だ。
2017年、当時ベトナムに駐在していた玉井慎一は、一本の論文を社内に提出していた。ベトナム全土に冷凍・冷蔵倉庫を整備し、南北を一本の幹線輸送でつなぎ、コールドチェーンのプラットフォームを築く。当時のベトナム関係者もまた、発展するこの国の先に同じ将来像を描いていた。玉井が論文に書いた「地図」は、今、KONOIKEグループが進める構想とほとんど重なっている。
「プロジェクトは早すぎてもいけないし、遅すぎてもダメ。今振り返ると、当時は、構想を推進する力が自分にはまだ足りませんでした」。玉井はそう言って笑う。だが、その思い描いた未来は見当外れではなかった。「ベトナムの現代表は非常に推進力がある。この構想を実現させたい」。10年弱を経て、国際統括本部の次長として、かつて自分が描いた「地図」にもう一度向き合っている。
2017年、当時ベトナムに駐在していた玉井慎一は、一本の論文を社内に提出していた。ベトナム全土に冷凍・冷蔵倉庫を整備し、南北を一本の幹線輸送でつなぎ、コールドチェーンのプラットフォームを築く。当時のベトナム関係者もまた、発展するこの国の先に同じ将来像を描いていた。玉井が論文に書いた「地図」は、今、KONOIKEグループが進める構想とほとんど重なっている。
「プロジェクトは早すぎてもいけないし、遅すぎてもダメ。今振り返ると、当時は、構想を推進する力が自分にはまだ足りませんでした」。玉井はそう言って笑う。だが、その思い描いた未来は見当外れではなかった。「ベトナムの現代表は非常に推進力がある。この構想を実現させたい」。10年弱を経て、国際統括本部の次長として、かつて自分が描いた「地図」にもう一度向き合っている。
1993年、鴻池運輸は日系のフォワーダー企業として初めてベトナムに進出した。1996年には現地の物流大手ビナトランスと合弁会社であるコウノイケ・ビナトランス・ロジスティクス(コウノイケビナ)を設立し、他の外資系に先んじて冷凍・冷蔵倉庫を建設している。
進出して間もない頃の主力は、輸出入やフォワーディングといった国際物流だった。加えて手がけていたのが、「エンジニアリング」と呼ばれる事業だ。日本のメーカーが工場をつくり、生産ラインを移したり増やしたりするたび、重い機械や生産設備を運び込み、据え付ける。創業後まもなくから国内の工場やプラントで据え付けや構内作業を担ってきた鴻池運輸には、その経験の蓄積があった。1990年代の日本企業のベトナム進出ブームでエンジニアリング需要も旺盛になり、国際物流を下支えするようになっていった。玉井がベトナムに赴任したのは、それから20年あまり後、2010年代の半ばだ。日本企業の進出ブームはとうに落ち着いていた。
現地に降り立った玉井をまず面食らわせたのは、仕事の進め方だった。日本なら、石橋を叩いて渡るように、入念に準備し、確実だと見極めてから動く。それが当たり前だった。ところが現地の代表は、こう言ってのけた。
「ここでは見切り発車、オッケーだから」
戸惑いは、それだけではなかった。一度根付いたはずの仕事が、三カ月も経つと元に戻っている。最初は「なんでこうなるんだ」とイライラした。だが、一つ一つ立ち止まって後戻りしていては、猛烈な速さで動くこの国の変化に置いていかれる。ある時から、玉井は完璧を求めるのを止めた。「どんどん次に行こうと。スピードについていかないと、立ち止まっていたら追い抜かれる」。立ち止まらず、走りながら手を打つ。この国のリズムに体を合わせたとき、挑戦できることが一気に増えた。
走りながら、玉井はコウノイケビナの強みを見定めていった。緻密な計画よりも、先代たちが築いた歴史と信頼、そして現地スタッフの泥くさい現場力。その積み上げこそが、ベトナム事業の本当の土台だと玉井は腹に落としていった。
2015年、転機が訪れる。ベトナムの急激な経済成長に伴う内需増をターゲットとした戦略に舵を切り、輸出入中心から自国内の物流シェア拡大のため、100台規模の車両を一気に投入した。ロジスティクス部門が飛躍的に伸びた。
進出して間もない頃の主力は、輸出入やフォワーディングといった国際物流だった。加えて手がけていたのが、「エンジニアリング」と呼ばれる事業だ。日本のメーカーが工場をつくり、生産ラインを移したり増やしたりするたび、重い機械や生産設備を運び込み、据え付ける。創業後まもなくから国内の工場やプラントで据え付けや構内作業を担ってきた鴻池運輸には、その経験の蓄積があった。1990年代の日本企業のベトナム進出ブームでエンジニアリング需要も旺盛になり、国際物流を下支えするようになっていった。玉井がベトナムに赴任したのは、それから20年あまり後、2010年代の半ばだ。日本企業の進出ブームはとうに落ち着いていた。
現地に降り立った玉井をまず面食らわせたのは、仕事の進め方だった。日本なら、石橋を叩いて渡るように、入念に準備し、確実だと見極めてから動く。それが当たり前だった。ところが現地の代表は、こう言ってのけた。
「ここでは見切り発車、オッケーだから」
戸惑いは、それだけではなかった。一度根付いたはずの仕事が、三カ月も経つと元に戻っている。最初は「なんでこうなるんだ」とイライラした。だが、一つ一つ立ち止まって後戻りしていては、猛烈な速さで動くこの国の変化に置いていかれる。ある時から、玉井は完璧を求めるのを止めた。「どんどん次に行こうと。スピードについていかないと、立ち止まっていたら追い抜かれる」。立ち止まらず、走りながら手を打つ。この国のリズムに体を合わせたとき、挑戦できることが一気に増えた。
走りながら、玉井はコウノイケビナの強みを見定めていった。緻密な計画よりも、先代たちが築いた歴史と信頼、そして現地スタッフの泥くさい現場力。その積み上げこそが、ベトナム事業の本当の土台だと玉井は腹に落としていった。
2015年、転機が訪れる。ベトナムの急激な経済成長に伴う内需増をターゲットとした戦略に舵を切り、輸出入中心から自国内の物流シェア拡大のため、100台規模の車両を一気に投入した。ロジスティクス部門が飛躍的に伸びた。
玉井が2017年の論文で見据えていたのは、その先の景色だった。
南部のホーチミンは食品メーカーが集まり、日系の百貨店や大型商業施設が次々に進出し、急速に発展していた。また、政治の中心・北部ハノイにも、大型スーパーが展開され、近代的な小売業が育ち始めていた。「首都が経済発展すれば、日系のスーパーもコンビニも必ず出てくる。それならば、全土に冷蔵倉庫を持って、南北輸送でつなげばいい」。
個人的な思いもあった。ベトナムでは冷蔵庫が急速に普及し始めていたが、使い方は2〜3日の短期保存が中心。「その日の食材は、その日に市場で買う」という暮らしは依然として根強かった。安定した冷凍・冷蔵輸送があれば、食文化そのものが変わるのではないか。「ベトナムの食文化を、自分たちの手で変えたい。私なりのかなり高い志でもありました」。玉井は静かに、はっきり語る。
玉井がベトナムを離れたのは、2019年。ホーチミン、ハノイ、ダナンと国中を回った駐在期間を終え、本社へ戻った。ちょうどその前後から、ベトナム事業の潮目は変わっていく。日系の進出が一巡し、高収益だった工場設備系のエンジニアリングは縮小。2020年にはコロナ禍と不動産不況が重なり、戦いの場は、競合がひしめく国内の物流市場へと移っていった。
当時描いた構想は間違ってはいなかった。その地図に命を吹き込む人間が、コロナのただ中にやってくる。
南部のホーチミンは食品メーカーが集まり、日系の百貨店や大型商業施設が次々に進出し、急速に発展していた。また、政治の中心・北部ハノイにも、大型スーパーが展開され、近代的な小売業が育ち始めていた。「首都が経済発展すれば、日系のスーパーもコンビニも必ず出てくる。それならば、全土に冷蔵倉庫を持って、南北輸送でつなげばいい」。
個人的な思いもあった。ベトナムでは冷蔵庫が急速に普及し始めていたが、使い方は2〜3日の短期保存が中心。「その日の食材は、その日に市場で買う」という暮らしは依然として根強かった。安定した冷凍・冷蔵輸送があれば、食文化そのものが変わるのではないか。「ベトナムの食文化を、自分たちの手で変えたい。私なりのかなり高い志でもありました」。玉井は静かに、はっきり語る。
玉井がベトナムを離れたのは、2019年。ホーチミン、ハノイ、ダナンと国中を回った駐在期間を終え、本社へ戻った。ちょうどその前後から、ベトナム事業の潮目は変わっていく。日系の進出が一巡し、高収益だった工場設備系のエンジニアリングは縮小。2020年にはコロナ禍と不動産不況が重なり、戦いの場は、競合がひしめく国内の物流市場へと移っていった。
当時描いた構想は間違ってはいなかった。その地図に命を吹き込む人間が、コロナのただ中にやってくる。
2021年5月、川瀬康一がベトナムにやってきた。コウノイケビナの代表に就任した。
川瀬が直前まで担当していたのは、羽田空港の手荷物搬送コンベアの更新工事だった。約2年がかりの試運転を終えた直後の、急な異動。設備の移設は経験してきたが、総合物流の現地経営は畑違いで、本人いわく「挑戦そのもの」の赴任だった。
着任した彼を待っていたのは、大きな矛盾だった。ベトナム人幹部からは「なぜ本社はベトナムに投資しないんだ」と詰め寄られ、日本側からは「今のベトナムには投資できない」と聞かされた。コロナ前、ベトナム経済が年7〜8%で伸びる中、現地法人は3%程度の成長にとどまっていた。多面的に事業を広げているのに、一本に貫く「骨太の方針」がない。それが伸び悩みの正体ではないかと川瀬は感じた。
矛盾を埋めるため、彼は一本の旗を立てた。コウノイケビナの2030年ビジョンだ。売上高を当時の約40億円から100億円へ。「誰に言われるわけもなく勝手に書いたんです」と本人は笑う。そして全員に訴え続けた。「最初の3〜4年は、何の投資もなく、自力でやり切るしかない」。投資をお願いする前に、自力で立ってみせる。彼が選んだのは、地道な遠回りだった。
川瀬が直前まで担当していたのは、羽田空港の手荷物搬送コンベアの更新工事だった。約2年がかりの試運転を終えた直後の、急な異動。設備の移設は経験してきたが、総合物流の現地経営は畑違いで、本人いわく「挑戦そのもの」の赴任だった。
着任した彼を待っていたのは、大きな矛盾だった。ベトナム人幹部からは「なぜ本社はベトナムに投資しないんだ」と詰め寄られ、日本側からは「今のベトナムには投資できない」と聞かされた。コロナ前、ベトナム経済が年7〜8%で伸びる中、現地法人は3%程度の成長にとどまっていた。多面的に事業を広げているのに、一本に貫く「骨太の方針」がない。それが伸び悩みの正体ではないかと川瀬は感じた。
矛盾を埋めるため、彼は一本の旗を立てた。コウノイケビナの2030年ビジョンだ。売上高を当時の約40億円から100億円へ。「誰に言われるわけもなく勝手に書いたんです」と本人は笑う。そして全員に訴え続けた。「最初の3〜4年は、何の投資もなく、自力でやり切るしかない」。投資をお願いする前に、自力で立ってみせる。彼が選んだのは、地道な遠回りだった。
自分たちの足で立つために川瀬が取り組んだのは社内の「縦割り」を壊すことだった。
コウノイケビナは家族的で温かい社風を持ち、離職率も低かった。ただ、その温かさは、裏を返せば部門ごとに閉じた「緩み」にもつながっていた。閉じた温かさを、開かれた協力へどう変えるか。川瀬が最も大事にしたのは、情報を滞らせないことだった。
道具になったのがSNSだ。現地で普及するチャットアプリで幹部をつなぎ、各事業所で起きた事故やトラブルをその場で全員に共有する。「恥ずかしいことでも、なんでもいい。全部みんなで共有しよう」。誰かの失敗が、別の誰かの同じ失敗を防ぐ。コウノイケビナ公式SNSで各部門の動きを「見える化」し、短い動画で応援し合う。縦割りだった会社に一本の「横串」が通った。
ただ、仕組みは上から決して押しつけなかった。「ゴールだけを示して、納得してもらう。仕組みは現場のベトナムの人たちがつくる。自分たちでつくったものだから、よく浸透するんです」。
川瀬は、朝、出社すると、誰にでも分け隔てなくあいさつし、相手の表情をじっと見る。「気持ちよく働けているか、それがつかめればいい。ベトナムを変えたのは、ベトナムの人たち。頑張れば会社が伸びると彼ら自身が納得してくれた」。
道具になったのがSNSだ。現地で普及するチャットアプリで幹部をつなぎ、各事業所で起きた事故やトラブルをその場で全員に共有する。「恥ずかしいことでも、なんでもいい。全部みんなで共有しよう」。誰かの失敗が、別の誰かの同じ失敗を防ぐ。コウノイケビナ公式SNSで各部門の動きを「見える化」し、短い動画で応援し合う。縦割りだった会社に一本の「横串」が通った。
ただ、仕組みは上から決して押しつけなかった。「ゴールだけを示して、納得してもらう。仕組みは現場のベトナムの人たちがつくる。自分たちでつくったものだから、よく浸透するんです」。
川瀬は、朝、出社すると、誰にでも分け隔てなくあいさつし、相手の表情をじっと見る。「気持ちよく働けているか、それがつかめればいい。ベトナムを変えたのは、ベトナムの人たち。頑張れば会社が伸びると彼ら自身が納得してくれた」。
自助努力は、数字に表れた。売上高は約40億円から足元では約65億円と、2020年から2025年の5年で約1.5倍に拡大した。人員は約680人から約730人と大きくは増えていない。生産性を高めた結果だ。
中核事業に育ったのが、南北輸送だ。ホーチミンからハノイまで約2,000キロを3日でつなぐ定温輸送の定期便である。
鉄道は単線で便も少なく、内航船は6日かかり、いずれも冷凍・冷蔵の定期輸送には向かない。レストランや高級ホテルが求めるスピードには、3日で結ぶトレーラ輸送が最適だ。この南北を結ぶ定温定期便を担えるのは地場を含めても限られ、日系では最近までコウノイケビナだけだった。
南北輸送の月の輸送量は約1,000トンから約5,000トンに伸びた。顧客数も約400社から約2,000社へと小口を中心に広がっている。課題だった北部からの帰り便の積載率も、北部での営業が寄与し、20〜30%から50〜80%へ大きく改善した。
その伸びを足元で支えるのは、約2,000キロを走り抜くドライバーたちだ。運転マナーの低さが社会問題とされるこの国にあって、彼らは規律を保ち、誇りを持ってハンドルを握り続ける。「ストレスもあるはず。それでも、熱意を持って頑張ってくれている」。川瀬の言葉に、数字の裏で動く現場の顔がのぞく。
「南北輸送はコウノイケ」——現地でそう呼ばれる強みは、ただ運ぶことではなく、『安全・安心・安定』を、2,000キロの最後まで守り抜くことにある。 都市部を抜ければ山あいの道が長く続く。事故や災害があっても、運行中は車両を見守り、即座に立て直す。「どんな問題が起きても、最後までケアしきる。その力が、信頼につながっているんです」。日系他社が一朝一夕に真似できない、高い参入障壁がそびえ立つ。 2022年には自社便を「KONOIKE VINA EXPRESS®」(コウノイケビナエキスプレス)。白い車体にペンギンのマークを描き「交通ルール厳守」を掲げる。ブランドの浸透にも余念がない。
中核事業に育ったのが、南北輸送だ。ホーチミンからハノイまで約2,000キロを3日でつなぐ定温輸送の定期便である。
鉄道は単線で便も少なく、内航船は6日かかり、いずれも冷凍・冷蔵の定期輸送には向かない。レストランや高級ホテルが求めるスピードには、3日で結ぶトレーラ輸送が最適だ。この南北を結ぶ定温定期便を担えるのは地場を含めても限られ、日系では最近までコウノイケビナだけだった。
南北輸送の月の輸送量は約1,000トンから約5,000トンに伸びた。顧客数も約400社から約2,000社へと小口を中心に広がっている。課題だった北部からの帰り便の積載率も、北部での営業が寄与し、20〜30%から50〜80%へ大きく改善した。
その伸びを足元で支えるのは、約2,000キロを走り抜くドライバーたちだ。運転マナーの低さが社会問題とされるこの国にあって、彼らは規律を保ち、誇りを持ってハンドルを握り続ける。「ストレスもあるはず。それでも、熱意を持って頑張ってくれている」。川瀬の言葉に、数字の裏で動く現場の顔がのぞく。
「南北輸送はコウノイケ」——現地でそう呼ばれる強みは、ただ運ぶことではなく、『安全・安心・安定』を、2,000キロの最後まで守り抜くことにある。 都市部を抜ければ山あいの道が長く続く。事故や災害があっても、運行中は車両を見守り、即座に立て直す。「どんな問題が起きても、最後までケアしきる。その力が、信頼につながっているんです」。日系他社が一朝一夕に真似できない、高い参入障壁がそびえ立つ。 2022年には自社便を「KONOIKE VINA EXPRESS®」(コウノイケビナエキスプレス)。白い車体にペンギンのマークを描き「交通ルール厳守」を掲げる。ブランドの浸透にも余念がない。
川瀬が代表を務めるのは、コウノイケビナだけではない。100%子会社のアンファ・エージ―・ジョイント・ストック・カンパニー(アンファ)のトップも兼務する。この2社の関係こそ、現場で組み上げた戦略の妙だ。
アンファを完全買収したのは2014年。冷凍・冷蔵の拠点を厚くし、コールドチェーンの基盤を広げるためだ。この買収で、合弁会社コウノイケビナと100%子会社のアンファの二つの顔が揃った。
だが、買収して同じグループになっても、二社はしばらく噛み合わなかった。別々に動き、互いに「同じKONOIKEグループ」という意識すら薄かった。その2社を、川瀬が一人の代表として束ね、一つの事業のように動かし始めている。鍵は役割分担だ。外資規制では、トラックの運行は合弁会社でなければ担えず、冷凍・冷蔵倉庫は100%子会社でも持てる。そこで、投資と倉庫づくりは100%子会社のアンファが、運行は合弁会社のコウノイケビナが受け持つ。それぞれにしかできない機能を組み合わせ、全体最適を急ぐ。
ベトナムでグループが扱う倉庫面積は常温倉庫も含めて約12万平方メートルだが、自前の定温倉庫は、現在、南部の2拠点だけだ。冷凍・冷蔵倉庫は借りること自体が難しく、これまで南北輸送ではその場の積み替えでしのいできた。安定したコールドチェーンには、モノを溜める自前の拠点が要る。そこをどう自前で固めるかが、これからの勝負どころだ。
アンファを完全買収したのは2014年。冷凍・冷蔵の拠点を厚くし、コールドチェーンの基盤を広げるためだ。この買収で、合弁会社コウノイケビナと100%子会社のアンファの二つの顔が揃った。
だが、買収して同じグループになっても、二社はしばらく噛み合わなかった。別々に動き、互いに「同じKONOIKEグループ」という意識すら薄かった。その2社を、川瀬が一人の代表として束ね、一つの事業のように動かし始めている。鍵は役割分担だ。外資規制では、トラックの運行は合弁会社でなければ担えず、冷凍・冷蔵倉庫は100%子会社でも持てる。そこで、投資と倉庫づくりは100%子会社のアンファが、運行は合弁会社のコウノイケビナが受け持つ。それぞれにしかできない機能を組み合わせ、全体最適を急ぐ。
ベトナムでグループが扱う倉庫面積は常温倉庫も含めて約12万平方メートルだが、自前の定温倉庫は、現在、南部の2拠点だけだ。冷凍・冷蔵倉庫は借りること自体が難しく、これまで南北輸送ではその場の積み替えでしのいできた。安定したコールドチェーンには、モノを溜める自前の拠点が要る。そこをどう自前で固めるかが、これからの勝負どころだ。
KONOIKEグループのベトナム事業には、もう一つの「足」がある。空だ。
ベトナム航空との合弁で航空フォワーディングを担うビナコ・フォワーディングも、1996年の設立だ。副社長の岩田純一は「南北に細長いベトナムでは、ハノイとホーチミンが離れている。食品のように即時性が求められる貨物では、航空が活躍します。トラックもあれば、飛行機もある。その存在感を示したいです」と陸と空の関係を語る。
例えば、北と南に工場を持つメーカーから「北から緊急で運んでほしい」と連絡が入る。陸路なら2-3日かかるが、飛行機なら半日足らずで客先まで届く。「そういう依頼はしばしばあります」と岩田はいう。コウノイケビナの陸の顧客から空の依頼が回ることも多く、KONOIKEグループで同じ顧客に陸と空で最適解を提供する。陸と空を上手く噛み合わせ、KONOIKEグループはベトナムの物流を面で押さえようとしている。
ベトナム航空との合弁で航空フォワーディングを担うビナコ・フォワーディングも、1996年の設立だ。副社長の岩田純一は「南北に細長いベトナムでは、ハノイとホーチミンが離れている。食品のように即時性が求められる貨物では、航空が活躍します。トラックもあれば、飛行機もある。その存在感を示したいです」と陸と空の関係を語る。
例えば、北と南に工場を持つメーカーから「北から緊急で運んでほしい」と連絡が入る。陸路なら2-3日かかるが、飛行機なら半日足らずで客先まで届く。「そういう依頼はしばしばあります」と岩田はいう。コウノイケビナの陸の顧客から空の依頼が回ることも多く、KONOIKEグループで同じ顧客に陸と空で最適解を提供する。陸と空を上手く噛み合わせ、KONOIKEグループはベトナムの物流を面で押さえようとしている。
現在、国際統括本部では、日本を含む本部の事業を5つのセグメント、5つのエリアに分け、それらを「成長」「基盤構築」「収益性重視」のカテゴリーに位置づけている。ベトナムは「基盤構築事業」——稼ぐ土台を固め、将来の成長事業へ昇華させる地域の筆頭だ。3年ほど前からは、現地主導の投資判断を、本部と現地が両輪で推進する体制に変えた。
そのエンジンが「コールドチェーンのプラットフォーム構想」だ。現在、南部にある3つの冷凍・冷蔵倉庫を、今後ベトナム全土に拡大していく。7月に稼働開始した南部の新倉庫を皮切りに、北部に「日系初」である冷凍・冷蔵倉庫の建設も決定。中部の要衝ダナン、北部の港湾の後背地、南部メコンデルタと南・中・北をひととおり押さえる構えだ。倉庫を南北輸送でつなぎ、点を線に変える。さらに、各拠点での市内配送網を構築し、線を面に変えることも視野に入れている。トラックも投資を積極的に拡大し、現在の100台体制から、自社車両保有の大幅な増強を推進する。
北部は、政治の中心でありながら、日系定温物流は未開拓の市場だ。多くの日系企業が参入を足踏みする中、鴻池運輸は先んじて北部市場の成長可能性に着目し、このたび北部進出を決めた。玉井は「2番目では、あまり意味がない。最初に出てプラットフォーマーにならないと」と意気込む。直近では日系大手コンビニエンスストアの北部出店も進み、市場が本格的に動き出している兆しだ。
コウノイケビナは、2026年に設立30年の節目を迎えた。川瀬が従業員に語ったのは、派手な言葉ではない。「次の30年で国内のコールドチェーンを完成させ、属人的だった組織を、つながり合う組織へと変えていく」。冷凍・冷蔵で築いた「安全・安心・安定」のブランドは、今や重量物の運搬など他事業の現地での営業にも生き始めている。ゆっくりだったが着実にKONOIKEのブランドは同地に浸透しつつある。
「ベトナムの食文化を変えたい」。その志を胸に抱いた駐在員の構想は、今現実となりつつある。玉井が本部から事業を支え、川瀬が構想を練り上げ、組織と人を動かし現実にしていく。本部と現場が一体となって南北2,000キロの物流網を築き上げる。描き続けた未来は、ベトナムの次の30年への歩みとして、確かに動き出している。(執筆:NORAKURA合同会社(栗下直也))
北部は、政治の中心でありながら、日系定温物流は未開拓の市場だ。多くの日系企業が参入を足踏みする中、鴻池運輸は先んじて北部市場の成長可能性に着目し、このたび北部進出を決めた。玉井は「2番目では、あまり意味がない。最初に出てプラットフォーマーにならないと」と意気込む。直近では日系大手コンビニエンスストアの北部出店も進み、市場が本格的に動き出している兆しだ。
コウノイケビナは、2026年に設立30年の節目を迎えた。川瀬が従業員に語ったのは、派手な言葉ではない。「次の30年で国内のコールドチェーンを完成させ、属人的だった組織を、つながり合う組織へと変えていく」。冷凍・冷蔵で築いた「安全・安心・安定」のブランドは、今や重量物の運搬など他事業の現地での営業にも生き始めている。ゆっくりだったが着実にKONOIKEのブランドは同地に浸透しつつある。
「ベトナムの食文化を変えたい」。その志を胸に抱いた駐在員の構想は、今現実となりつつある。玉井が本部から事業を支え、川瀬が構想を練り上げ、組織と人を動かし現実にしていく。本部と現場が一体となって南北2,000キロの物流網を築き上げる。描き続けた未来は、ベトナムの次の30年への歩みとして、確かに動き出している。(執筆:NORAKURA合同会社(栗下直也))